2012年5月24日木曜日

レゴポエム8( Legopoems: AHIRU Freedom)アヒル自由


アヒル自由


偉大な詩人は言いました。

『誰も自由じゃない。鳥だって空につながれているんだ』
(No one is free, even the birds are chained to the sky. Bob Dylan)


僕は思う。

きっとそれは諦めじゃない。

繰り返す"絶望"を断ち切ってくれたんだ。

戦争に縛られ、平和に縛られ、家族に縛られ、自分に縛られ、

そのどれから脱出しても、また別の何かに縛られてしまう。

それでもお前の自由は何なんだ?って問う。


僕は思う。

きっとそれは戦いを拒否することじゃない。

何と戦うかではなく、何とは戦えないかを示してくれたんだ。

戦争と戦い、平和と戦い、家族と戦い、自分と戦い、

分別のついた頃にはすっかり消耗してしまう。

それでもお前は自由の為に何と戦うんだ?って問う。



鳥を空に縛り付けたのはボブ・ディラン、

アヒルを写真に閉じ込めたのは僕、

自由をちょっとのぞいてみる為に。


切り取った景色の向こう側、

閉じ込めた掌の中に、

アル自由。

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おまけ。

レゴエデュケーションのサイトに、

レゴブロックは、たった6個で9億通りの組み合わせができるので、
レゴは無限の可能性を秘めた素材である。

というような説明があります。


でも、レゴは無限の可能性がある素材だからすごいんじゃないと思いました。

むしろ可能性を抑えたから、レゴは僕らに自由を示してくれた気がします。


レゴが立体的な造形の構成要素をシンプルにし、
ある種の制限を与えてくれることで、
子供(人)のイマジネーションの方が、無限の可能性を持つことができ、
かつ国を超えたコミュニケーションが可能になっている
と考えてもいい気がします。


あまりに多くの可能性の前には、人はお手上げになります。

先日、レゴを使ったモンスター当てゲームというのをやりましたが、
これが、絵画や粘土だったら可能性がありすぎて当てようがなくなります。
構成要素が10個程度だったから、
ちょうど良い難易度のゲームになったのだと思います。


言語が多すぎて世界中の人はまだ上手くコミュニケーションできません。

レゴが世界共通の構成要素を決めてくれたからこそ
意味の可能性が限定されて、対話の可能性が広がった。
人間側の可能性が広がったんじゃないかと考えました。

しつれいしました。

レゴQ